前書き(この部分は飛ばしてもらっても結構です)

来る3月13日のダイヤ改正、ついに東海道本線からある形式が定期運用をはずれます。その名は185系電車。

修善寺にて。

なんだかんだでしぶとく生き永らえたこの形式にもついに年貢の納め時がやってきました。思えばこの車両は、生まれた時からずっと話題性に事欠かない車両だったと思います。今回はこの185系の歴史とその時代背景についてお話しします。

誕生ー国鉄最後の優等車両ー

1970年、東海道本線東京口の急行列車、伊豆は、車両交代の時期を迎えていました。当時使用していた急行型の153系は、海沿いの東海道本線と直通先の伊豆急行線で酷使された結果、塩害などによる経年劣化がほかのと比べて深刻でした。加えて、国鉄の財務状況が主に田中角栄と鉄建公団のせいで日に日にひっ迫し、コストカットの為車両の絶対数を減らすことも最重要課題でした。そこで国鉄は急行伊豆を置き換えるための新型車両を導入することにしたのです。そのために生まれたのが185系特急型電車でした。

117系は当時の国鉄としては画期的な電車であった。その設計思想はキハ47や213系電車に受け継がれていく

当初から間合い運用の普通列車に使用することが想定されていたため、すでに中部、近畿地方で量産されていた快速電車の117系、もしくは同等の設備をもつ別形式の車両を開発する予定でしたが、居住性を少しでも向上させようと考えた国鉄はデザインを変更。117系を参考にはしているものの、ドアを片開きとして車端部に寄せ、デッキが追加された内装となりました。

自分の異母兄弟が先に引退するというのに、こちらは隣の115系と共にまだまだ元気いっぱい大活躍

しかし急転直下、急行伊豆とほぼ同じ経路で営業していた157系電車使用の特急あまぎも置き換えることになったのです。すでに急行型として製造に取り掛かっていた185系は今更設計変更するわけにもいかず、そのままの設備で特急運用に就く羽目になりました。こうして1981年に185系はテスト運用を経た後に、特急あまぎ、急行伊豆をまとめた列車、新特急踊り子としてロールアウトするのですが…

内装ー「らしくない」設備ー

さてこの185系、急行型として設計した車両を無理やり特急型としてロールアウトしたせいで特急型としては「らしくない」点がいくつも見受けられました。まずは窓です。特急型というものは居住性の観点から、基本的には窓は開閉できないようになっていますが、この形式はグリーン車でも思いっきり窓が開けられます。というか、普通列車でも使われているユニットサッシです。そのためカーテンが普通の横引き式と巻き上げ式を併設したとても珍しいタイプの側面窓となっています。

車内のイメージ。

開閉できる窓は割と受け入れる客も多かったのですが、問題は座席でした。今でこそ全席リクライニングシートに換装されていますが、登場当初はなんと、普通車の座席が全て転換クロスシートだったのです!場所によってはタダで座れるシート特急料金を払えだなんて客が納得するはずもありません。特に急行利用者だった客にとっては実質的な値上げを食らったにもかかわらず、サービスが変わらないなんて言語道断です。

wikiより転載。この座席に特急料金払えとかぼったくりやろ!

もちろん国鉄もこの状況は予期していました。その為緩和策として、この列車が運用する場合の特急は従来とは別枠の安価な料金設定、いわゆる新特急料金で乗れる措置を講じました。ちなみにこの転換クロスシートが全車リクライニングシートに置き換わるのは、JR化後の1995年まで待つことになります。

増備ー北関東の185系ー

波乱の踊り子ロールアウトから少し落ち着いてきた1981年末、国鉄は東北本線、高崎線系統の優等列車にも185系を導入することを決定しました。当時急行列車だった草津、水上、谷川、あかぎに使われていた165系の置き換えというのもありましたが、1982年には東北新幹線の大宮暫定開業を控えていたこともあって、その連絡列車にも利用するのが最大の目的でした。そして来る1982年の春、上記の急行列車と共に東北新幹線暫定開業と同時に大宮から上野までノンストップで連絡する新幹線リレー号としてデビューします。

でかでかとヘッドマークに普通、と表示するのはインパクトがある

東北・高崎線仕様として製造された編成は、当時国鉄最大の難所として知られていた信越本線碓氷峠区間の列車にも導入されました。そのため、東海道線の編成とは機器や台枠、同区間の補機EF63との連結対策などに相違点がみられます。急行列車や間合いの普通列車運用のほか、上越新幹線開業後の信越本線リレー列車、信州リレー号、軽井沢リレー号の運用にも充当し、のちの北陸新幹線長野開業にも一役買っています。そして北陸新幹線開業の前夜、廃止される碓氷峠区間を最後に下った営業列車こそが、この185系充当の列車でした。碓氷峠廃止後も間合い運用や臨時快速などでちょくちょく顔を見せています。

碓氷峠の眼鏡橋

時を戻しましょう。上越新幹線も開業し、東北新幹線が上野まで延伸開業した後新幹線リレー号の任を解かれた185系は、東北・高崎線系統の165系使用の急行列車を全て新特急として置き換えます。ですが内装はやはり転換クロスと開閉窓なので、いくら新特急料金とは言え乗客の不満を抑えることは出来ませんでした。いつしか、遜色特急などあだ名されて、後ろ指を指される様になってしまいましたが、そんな185系にもついに転機が訪れます。

天職ー通勤ライナー運用ー

この頃国鉄は、年々増加する首都圏の乗客を捌くため、通勤列車のサービス向上を図りました。その一つが、通勤ライナー列車です。ラッシュアワーの際に私鉄が走らせている通勤特急にヒントを得て、特急運用を終えて車庫に折り返す特急型車両の間合い運用として、高崎・東北本線で運行を開始しましたが、絶対に混雑を避けられて、さらには安価で特急型に乗れることからたちまち大人気となり、反響を受けて国鉄は首都圏五方面全域に通勤ライナーを走らせることにしました。

普通から特急、通勤ライナーまで引っ張りだこ

勿論185系もその運用につくことになりました。ここで前述の急行型譲りの設備がいい方向に働きます。特急型のドアというものは小さめなのが当時の常識で、乗降客が多い駅だと乗り降りで少々時間がかかってしまうのですが、185系のドアは普通の特急型とは違い少々大きめのドア(=急行型の標準規格)なので乗降時間がそこまでかからない事が功を奏し、1995年に215系電車に一部便が置き換えられるまで、東海道線の通勤ライナーの全ての便が185系電車で運用されていました。

湘南ライナーもう一つの花形215系も、185系と共に引退する

この時期がおそらく185系の黄金期でした。そして数年後、国鉄は民営化し、185系はJR東日本に全車が受け継がれて新たな時代を迎えます。

更新ー関東臨時列車の顔ー

民営化を迎えた185系は、運用範囲を大きく広げることになります。前述の信越本線の臨時列車、快速列車に加え、今まで特急の設定がなかった横浜線や、武蔵野線、青梅・五日市線などの近郊路線でも運用され、新規需要の掘り起こしに一役買いました。中でも特筆すべきなのは、臨時快速青梅川号。高崎駅から上越線を北上し、新特急谷川・白根・新雪として乗り入れていた北限、越後湯沢・石内駅を大幅に超えて、新潟県の青梅川まで海水浴客を乗せて走りぬく、185系使用の昼行列車としては一番長い列車でした。

横浜駅から横浜線を経由して松本駅に向かう特急列車、はまかいじ。専ら185系が使われていたが、一時期189系が使われていたことも。

しかし、いくら臨時列車とはいえ転換クロスシートで特急料金を頂くのは少々後ろめたい事があったのか、JRは1995年から2002年までにかけて185系の全車両にリニューアル工事を施工。その際、ようやく普通車にもリクライニングシートが換装されて、塗装も変わりイメージを一新した185系は晴れて正真正銘の特急型となりました。ですが2002年の時点で既に20年選手となっていた185系は、少々古くなってきており、段々と置き換えの話が聞こえてくる様になりました…

塗色ーストライプと国鉄色ー

185系の塗色と言えば、白い車体に緑色斜めストライプ3本線のシンプルなデザインが有名ですが、この塗色は国鉄としてはとても斬新なものでした。なにせ、当時の特急型といえば赤とクリームの、いわゆる国鉄特急色と言われるツートンカラーが主流でしたので、そんな中で白一色に緑の3本線ストライプの車両が現れたら目を引かないわけがありません。

シンプルかつ斬新なその塗装は令和のこの世でも色褪せない

 当時の国鉄は、上述の通勤ライナー設定なども含めたフリークエントサービスを実施して乗客を増やしたり、高頻度運転で自由席連結のL特急を運転し、特急の大衆化に努めるなどいい意味で「らしくない」雰囲気を作り上げており、185系のデビュー塗装もその一環でした。なお流石に東北方面に増備した185系は緑のラインを普通に横に引いた塗装だったそうです。もっともこれらは200系新幹線のカラーをイメージしており、新幹線からリレー号に乗り換える際に乗客が分かりやすい塗装にする意味合いもありました。新幹線リレー号の任を解かれてからも、1995年からのリニューアルまではずっと同じ塗装でした。

再びwikiから転載。どこか異母兄弟の117系と似たような雰囲気がある?

そして来る1995年、東北の185系から先にリニューアル工事が施工されました。それに伴い、白い車体はそのままに、赤城三山をイメージしたグレー・レッド・イエローのブロックパターンを配置した通称、EXPRESS塗装となりました。グレーをメインとするところもやはり「らしくない」です。東北の185系のリニューアルが終わった後、東海道の185系も同じようなリニューアル工事を施工されましたが、こちらは東海道線の伝統カラーである湘南色をメインとした湘南ブロック塗装となりました。

グリーン車を外した上で塗装変更されたOM03編成
みたびwikiより転載。伝統の湘南カラーは脈々と受け継がれている

そして塗装一新の数年後、群馬ディスティネーションキャンペーンと特急草津50周年記念として、なんと185系はかつて草津に使われていた元祖湘南電車、80系電車のリバイバル塗装を纏うことになります。そういえば80系電車も普通列車から準急や急行列車とバリアブルな運用を組んでいたこともあってどこか因果めいたものを感じずにはいられません。そしてキャンペーン終了後、全身湘南色から再びEXPRESS塗装に戻されるかと思いきや、今度はかつて置き換えたはずの157系電車のリバイバル塗装をまとうことになったのです。

157系塗装のOM08編成
4度目のwiki転載。国鉄色はどんな車両にでも親和性を発揮することを再認識させられる。

二連続でリバイバル塗装をまとう羽目になった東北の185系。しかしこれらのイベントが、185系の終焉の予兆だったということは当時まだ小学生だった私にはわかりませんでした…

末期ー時代の終わりー

2013年、185系はなんと夜行列車にも利用されることになります。その名はムーンライトながら。かつて大垣夜行と呼ばれていた列車で、東海道本線開業時から存在する伝統あるスジです。2009年の臨時化以来、それまで使われていた373系の代わりに189系が運用を担っていたのですが、老朽化に伴い、比較的年齢が浅く、JR東海区間へ乗り入れるために必要な装置も積んである185系に白羽の矢が立てられました。かつて名だたる急行型が利用されてきたこの列車に、急行型の流れをくむ185系が充当されたのもやはり何かの因果なのでしょうか。

東海の373系。こちらも185系と同じく普通列車としても運用に就いており、特急型なのにデッキレスの両開きドアと「らしくない」設備を持つ。

このムーンライトながらが、185系最後の新規運用でした。この2013年を境に、185系は急速に置き換えが進みます。まず東北の185系が、常磐線特急スーパーひたちで使われていた651系で直流化改造の上置き換えられました。特にあかぎはホームライナー鴻巣を合併する形でなんと全席指定の特急として再編されてしまいます。ですがこの時はまだ全車両が置き換えられたわけではなく、一部編成が東海道の185系のデビュー塗装をまとって東海道の185系の古い編成を置き換えました。ですが置き換えの魔の手はここで終わりではありませんでした。

工場から色を変え、コンセントを付けて戻ってきたE257系。

2017年、東日本は中央本線の特急、スーパーあずさ・あずさ・かいじに新型車両を導入することを発表しました。同時に新型車両E353系により玉突きで置き換えられた車両の一つであるE257系電車を、一度リニューアルしたうえで特急踊り子を置き換えるとも発表したのです。事実上の余命宣告でした。本来は成田エクスプレスに使用されているE259系電車を転用するという案だったのですが、臨時列車マリンEXPRESS踊り子に利用されるのみで本格的な置き換えとはならず、すぐに撤退しています。

185系よりも新しいはずなのに真っ先に消えていった251系スーパービュー踊り子

東日本はどうもここ最近特急列車と通勤ライナーを一つの列車に併合し、さらには着席保障の為自由席をなくし全席指定の特急にしてついでに増収も図るという大改悪方針を出していました。651系が高崎線系統にやってきて185系を置き換えたのも、すでに古巣の常磐線で上記のような特急再編が行われたのが理由です。本当はもっと早く置き換える予定だったのですが、ちょうど10年前に起きた東日本大震災の影響で常磐線が一部区間不通となり置き換え計画が思うように進みませんでした。

なんとこの500番台もリニューアルして踊り子に入るそうだ

あれほど隆盛を誇っていた185系列車も、気が付けば東海道本線の通勤ライナーと特急踊り子運用のみ、波動輸送も651系やらE257系に置き換えられて、とうとう2020年のダイヤ改正で、リニューアルしたE257系が自らの古巣である特急踊り子の定期運用の大半を置き換えられてしまいました。そして今年のダイヤ改正で残りの運用もすべてE257系に置き換えられて、定期運用からついに外れます。

最初から最後まで波乱万丈。これも185系らしさか。

どうやら年貢の納め時が来た模様です。かつて自分が置き換えた車両たちも同じことを思っていたのでしょうか。気が付けばデビューしてから今年(2021)でちょうど40年。節目にはちょうど良い時期です。本来もっと大々的なセレモニーが行われてもいいはずですが、去年から猛威を振るっている新型コロナウイルスの影響で残念ながら寂しいお別れとなりそうです。ですがこんな風に最後の最後まで「らしくない」所が逆に185系らしさだと思います。

最後に

そしてついに明日、185系を使用した特急踊り子、通勤ライナーはラストランを迎えます。皆様お別れは済みましたでしょうか。国鉄末期から民営化への過度期を経て、首都圏の数多くの乗客を運び続けた名車の最期の時。私はどうせ乗れないので端から諦めていますが、皆様はもし思い残すようなことがあるようでしたらせめて一目だけでも最後の雄姿を見ておくのもいいでしょう。

さようなら、185系

EX.別れが済んだら…

さて、しんみりしている所に悪いですがダイヤ改正後も日帰り攻略をしましょう。(強制)

今回のダイヤ改正で記事執筆当時不通区間があった都道府県で、全体のほぼ5割くらいの区間が復旧します。

それに合わせて下記の日帰り/合宿攻略の記事を更新いたします。

摩耶ケーブルの冬季メンテナンス終了による一部行程の変更
久大本線大分県内不通区間復旧による一部行程の変更
水郡線不通区間全復旧による一部行程の変更

そして新シリーズ、全鉄道日帰り攻略EXの記事ですが、しばらく間をあけたうえでやる気が出たら4月から一週間程度での投稿を予定しております。

日帰り攻略したくてうずうずしている皆様、どうかもう少々お待ちください。なんならこの間に日帰り攻略を進めてみるのも一つの手です。その最中にくれぐれもはやり病にかかりませんよう、注意を払って行動をお願いします。

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