千葉線・千原線の概要

千葉線と千原線、現在は一体的な運行が行われており運賃の差以外は同一路線のような両路線だが、歴史は全く違う。

時は大正、千葉線は1921年、船橋~津田沼~千葉(現在の千葉中央)間で開業した。

これは本線の津田沼より東の開業より先である。

当時は総武線は非電化であり、電化されていた京成が千葉~東京都心(当時は府心?)へのアクセス手段として優位に立っていた。

しかし、国鉄が電化、複々線化、東京駅乗り入れとサービスを向上させる中、京成は直通列車が普通列車のみで、途中で優等種別に抜かれるため実質乗り換え必須となり、利用者は国鉄に流れて行った。

一方千原線は千葉急行という名前で1992年、元号は平成に変わり、国鉄は民営化されJRになり、バブルははじけてから数年後に、千葉中央~大森台間で開業。その後1995年にはちはら台まで延伸した。

しかし、バブルの崩壊やニュータウンの人口が予想より少なかったことから経営が破綻し、1998年に親会社である京成の路線となった。

千葉線・千原線の現状

元々は本線より先にでき、県都千葉市と東京を結ぶ主要路線だった千葉線だが、先述の通り利用者は総武線に流れ、政令指定都市となった千葉市の中心部へと向かう路線には見えない路線となっている。現在は都心への直通はほぼなく、新京成線と直通運転し、松戸~千葉を結んでいる。

千原線はニュータウン開発がうまくいけば北総や東葉高速鉄道のような、高いけど利便性は高い路線になる可能性もあったが、現在は単線で、都心に行けない高い上に不便な路線になっている。

千葉線・千原線特急について

前書きが長くなったが、本題に入る。

千葉線・千原線特急というのは、ちはら台~上野を結ぶ無料特急である。

これができれば千葉やちはら台から上野までが約10分短縮され乗り換えも不要になる。

上野~津田沼の本線区間は本線特急と同じ停車駅に停車し、千葉線内は途中幕張本郷と京成千葉に停車、千原線内は各駅に停車する。

幕張本郷に停車とするのは、千葉線の途中駅で京成千葉に次いで乗降客数多いことと、幕張メッセへの利用者が見込めること、幕張~新千葉の各駅はホーム有効長が6両のため。

この特急は下りは小岩と東中山、上りは東中山と高砂で普通列車を追い越し、津田沼で本線の快速と接続する。千葉線内は待避設備がないため、特急の直後に普通が走り、前の普通に追いつかないように走る。

運行本数は毎時3本。20分に1本である。

千葉線・千原線特急の効果

まずは、先述の通り千葉やちはら台から上野方面への速達性・利便性の向上である。

その他に青砥~上野間の優等列車の本数確保、都営新宿線や東武野田線から幕張メッセや千葉に向かう利用者がJRから流れることが見込めるなどである。