生贄電化とは

生贄電化とは、タイトルにもある通り鉄道路線の一部区間を廃止、もしくは転換したうえで残りの区間を電化することを表すたった今自分で作った造語言葉です。今回はその生贄電化により電化されて今でも活躍している二つの路線と、時代が違えばそうなるかもしれなかった路線を一つご紹介します。

生贄その一:七尾線(七尾ー穴水ー輪島)

民営化当時は全線非電化だった七尾線

七尾線はIRいしかわ鉄道津端駅から七尾駅へと向かうJRの路線で、同県内のJR線では唯一の直流電化路線となっています。北陸新幹線開業後も特急を含めた全列車が金沢駅に直通する同線ですが、この路線が電化したのはそこまで昔の事ではなく、丁度30年前の9月1日に津端から七尾・和倉温泉間が電化されました。津端で接続する北陸本線の事や、電化にかかる費用の事も考えれば本来なら交流電化が一番妥当なはずですが、こ線橋やトンネルなどの配置などの関係であえて直流電化方式を選択したそうです。最も、金沢駅周辺で使われている電車のほとんどは交直流電車なので特段問題はありませんでした。

七尾線をかつて走っていた413系。当然交直流車である。

七尾以北はのと鉄道が受け持つ事に。ところが…

実は非電化当時の七尾線は七尾・和倉温泉止まりではなく、現在はのと鉄道が運営している穴水駅、さらにはそこから能登半島の上の部分、輪島まで伸びていました。七尾・和倉温泉までは現在でも一日あたりの通過人員が4000人超のそこそこ客が乗る区間ですが、以北の区間はどこにでもあるローカル線で、穴水駅を越えたら特に少なくなる赤字路線でした。そこで需要が増えた七尾駅までの区間の電化を要望してきた自治体に、JRは七尾・和倉温泉から穴水、そして輪島までの区間の運営から撤退すること条件に提示した所これを了承。既に穴水から蛸島までの能登線をJRから受け継いで運営していた第三セクター、のと鉄道に同区間を引き継がせることで七尾・和倉温泉までの電化にこぎつけたのでした。

のと鉄道はJRと対面で乗り継ぎできる

ところが、当時既に能登里山街道などの道路網などが整備されつつあった能登半島はじわじわと鉄道の利用者が減っていき、転換当初は黒字を計上していたのと鉄道も目に見えて赤字を計上するようになります。そしてとうとう維持しきれなくなり、転換後わずか10年もたたないうちに七尾線の穴水から輪島までの区間を廃止。そしてその4年後に、会社設立以来運営していた能登線も、高速道路や七尾線廃止の二年後に開業した能登空港の影響もあって全区間廃止に追い込まれています。

自分の路線を持たない三セク鉄道誕生

こうして、七尾から穴水までの区間にまで縮んでしまったのと鉄道。しかしこの区間はすこしややこしい存在で、本来能登線の運営を目的として設立されたのと鉄道は七尾線を受け継ぐ際、路線管理と車両運営を別々の会社で行う、いわゆる上下分離方式を採用しました。ですから厳密にいえば穴水、何なら廃止区間の輪島まで全てJR西日本の所有なので、能登線亡き今、のと鉄道は自社の鉄道路線を持たない珍しい第三セクター鉄道となっています。なお和倉温泉駅までは名実ともにJR七尾線という事になっているので、この区間だけ18切符で乗ることが可能です。

生贄その二:筑肥線(姪浜ー博多、虹ノ松原ー山本)

福岡市内を通るのに単線非電化だった筑肥線

筑肥線電化開業時から使用されている103系。今は筑前前原から東の区間には乗り入れない

筑肥線は福岡市の姪浜から唐津駅を結ぶ電化路線と、唐津線山本駅から分岐して長崎県の伊万里駅に至る非電化区間とエリアごとに異なる顔を持つ特異な路線です。姪浜から直通する福岡市営地下鉄が開業する前は一本の路線で、博多駅にも今よりかは少し南にずれたルートで直通していました。本来唐津・伊万里方面への短絡ルートとしての使命を持った同路線ですが、姪浜までの福岡市内区間の急激な人口増により利用者が激増し、当然同区間の増発を検討することになりますが、当時はこの区間でさえ単線だったので容量が足りず、加えて途中何か所か幹線道路を横切る踏切も多数存在していたため増発したら当時ただでさえ悩みの種だった渋滞がさらに悪化する恐れもありなかなか増発できませんでした。

地下鉄空港線直通で事実上の複線電化

ちょうど同じころ、福岡市では市内で悪化の一途をたどる渋滞を緩和する為、同市初となる地下鉄道建設を進めていました。博多から中州、天神を貫いて筑肥線とは別のルートで姪浜に向かうこの路線を利用して、筑肥線福岡市内区間の改善策としようとした国鉄は、1977年に福岡市と共に筑肥線姪浜ー博多間の廃止の覚書に調印しました。その代わり筑肥線は地下鉄と相互直通することになったので、博多駅への利便性を保ったまま天神・中州などの繁華街にもアクセスできるようになり、利便性は格段に上昇しました。なお生贄となった旧線区間は一部区間が緑道として整備されたほか、道路整備などに利用されています。

虹ノ松原からは未成線を活用

地下鉄直通開始によって筑肥線は一部区間が電化されることになりましたが、「生贄」になったのは姪浜からの区間だけではありません。本来筑肥線は唐津方面には向かわず、今の位置とは別の場所にあった東唐津駅でいったんスイッチバックしてから唐津線に山本駅で合流、そして伊万里方面へ向かっていました。しかし、上記の電化に伴って筑肥線が唐津方面に直通することになったため、虹ノ松原駅から山本駅までの区間は廃止とし、唐津方面への新ルートを着工することになります。

呼子線として建設されたが今は筑肥線の一部の虹ノ松原ー唐津間

実はこの時、筑肥線の虹ノ松原駅から分岐して唐津駅を経由し、佐賀県唐津市呼子町に至る路線が既に建設されていました。その名は呼子線。国鉄再建法に伴い一旦は建設が中止されたものの、筑肥線を電化の上唐津駅に乗り入れさせるため、この路線の唐津駅までの区間が筑肥線として組み込まれたうえで建設が再開、そして開業しています。しかし残りの呼子町方面の区間は後は線路を敷くだけの状態になっていたにもかかわらず、結局未成線のまま今現在に至ります。もし時代が違っていたら福岡市のベッドタウン路線として活躍できていた未来もあったかもしれません。

生贄その三…になるかもしれなかった札沼線

電化からまだ10年もたっていない

札沼線は函館本線桑園から分岐して新琴似を経て石狩当別・北海道医療大学に至る路線です。かつては留萌本線石狩沼田までつながっていましたが、1972年に新十津川から石狩沼田までの区間が、2020年に北海道医療大学から新十津川までの区間が廃止となって今に至ります。この路線も当然民営化当時は全線非電化のローカル線だったわけですが、民営化後に増便をしたら札幌近郊という事もあって乗客は急激に増加、全盛期には北海道全エリアから気動車をかき集めてラッシュ輸送にあたっていましたがそれでも限界ギリギリの状態が続いたため、9年前にとうとう北海道医療大学までの区間が電化されました。そして一日数往復だけですが札幌駅を越えて新千歳空港に直通する便も設定されています。

当別・医療大学以北は一日数本の超閑散路線

しかし電化されるほど需要が高い医療大学までの区間とは裏腹に、去年廃止された新十津川以北の区間はディーゼルカー一両だけでも空席が目立つようないつもの北海道ローカル区間で、石狩月形や浦臼までの区間便を除けば全区間を走りぬく便はたった一往復しか設定されていない超閑散区間でした。この便が始発でもあり最終便でもあったため、同区間廃止前までは日本一早い終電として名をはせていました。

今は亡き新十津川駅にて。撮影日からほぼ一週間後に事実上の廃線となった

電化開業と同時に廃止しても良かったが…

正直、医療大学から先の区間は電化の際に廃止されてもおかしくなかったのですが、電化当時はまだ新十津川に向かう便はまだ3本くらい存在しており、途中の浦臼や石狩月形からそこそこ利用があったこともあって「生贄」になることはありませんでした。そのすぐ後にJR北海道は不祥事を連発したため会社の方針を変更し、4年後に北海道全エリアで廃線も含めた交通体系の大幅な見直しを行います。もし札沼線の電化が2016年よりも後に着工していたら新十津川までの区間はおそらく2020年よりも前に「生贄」になっていたことでしょう。(了)