三セクから大手へ、珍しい逆譲渡の事例

この記事を読んでいる皆様にとって釈迦に説法だと思いますが、譲渡というのは土地や建物などの所有資産を移転させる一切の行為をいいます。これらには鉄道車両も当てはまり、つい最近も東武20000系やらメトロ03系などの譲渡で話題になったばかりです。基本的に鉄道会社同士の車両譲渡と言えば、JRや大手私鉄の余剰となった中古車両などを地方の中小私鉄や第三セクター鉄道がもらい受ける、というのが普通です。

ですが、時にはその第三セクターや中小私鉄などが逆にJRや大手私鉄などに車両を譲渡することがごく稀にあります。もらう側とあげる側の立場が逆転してることから、時に逆譲渡とも呼ばれることがあります。その事例を、いくつがご紹介しましょう。

三セク→JRの事例

りんかい線70-000系→JR209系3100番台

おそらく三セク→JR・大手私鉄の事例で最も有名な事例がこれでしょう。そして三セクからJRに車両を譲渡した初の事例でもあります。

拝島駅にて

りんかい線は開業当時から10両編成という訳ではなく、東京テレポート駅までの暫定開業時は4両編成(一時期6両)で新木場と同駅の間を往復していました。大崎まで全通した際、同時期に直通する埼京線と両数を合わせるために付随車を追加製造の上既存の編成に組み込んで今現在の10両編成の姿となります。ですが全車両が新規製造されたわけではなく、中には既存の編成から付随車と電動車を譲り受けて再組成された編成もありました。そのため残った先頭車と余った付随車を合わせて6両ほどの余剰が発生します。

ちょうどこのころ、JRは川越線・八高線の103系を全て置き換えようと205系の導入を検討していましたが、川越から南の区間と埼京線がりんかい線方面に直通するのと合わせて新たに205系の10両編成をもう一編成作る必要が生じました。その分を差し引くと同線区の103系を完全に置き換えることはできません。そこで、JRは上記の編成組み換えで生じた70-000系の余剰車両をりんかい線から購入し、電動車を追加製造したうえで209系3100番台としてデビューさせました。

3100番台以外のかつての八高・川越線の顔ぶれ

70-000系は顔こそ違えども基本的な設計はJR209系とほぼ共通していることが功を奏し、改造は比較的最小限度に抑えることが出来ました。八高線が高麗川まで電化した際に既に純正の209系が導入されていた為、ぱっと見では同形式にしか見えませんが、よく目を凝らしてみると丸っこい顔つきやライトの形、何よりもりんかい線ロゴマークの痕跡で容易に元りんかい線所属車と判別できます。そしてこの時に追加で製造された電動車のモハ209・モハ208-3101が209系全体で一番最後に新規製造された車両となりました。

今現在の八高線の新しい顔ぶれ、でも隣のGVは違うよ

今現在八高線の205系と209系は209系3500番台とE231系に置き換えられましたが、この3100番台は一旦は身を引いたものののちに復帰し、今現在でも川越・八高線最古参の車両として活躍しています。ですがもう先は長くなさそうですので、乗車するならなるべく早めの方がいいかもしれません。

高千穂線TR-400系→JRキハ125系400番台

上記の件からそこまで間をおかぬ2005年の9月に、九州の宮崎県を台風14号が襲います。その際に発生した暴風雨で甚大な被害を被った第三セクター鉄道、高千穂鉄道は苦渋の末に自社の高千穂線の廃止を決定し、事業清算の為自社の車両を何両か他社に売却する事にします。うちTR-200系は四国の阿佐海岸鉄道へ、そして観光仕様の車両TR-400系は延岡で接続するJR九州へとそれぞれ別の道をたどります。

新天地阿佐海岸鉄道もDMV転換でTR-200はついに命運が尽きた

丁度南宮崎から分岐する日南線に観光列車を走らせようと考えていたJR九州はさっそく同形式を改造し、内外装のデザインを九州御用達のデザイナー、水戸岡鋭治氏に依頼しました。もともと窓がないトロッコ車両として生まれた同車両を塗装を変えたうえで窓を追加したのですが、その外装は大胆にも木材を使用するという水戸岡氏お得意の常識破りっぷりが発揮されています。これらの経緯を経て高千穂線廃止後の一年後の2009年に日南線の観光特急、海幸山幸としてデビューすることになったのです。なお三セクからJRへ気動車の譲渡事例は今回が初となります。

南宮崎駅にて

なおJRで運用する際に新形式ではなくあくまでも形式編入という形になったのは、TR-400系とキハ125系が同じ新潟鐵工所(現新潟トランシス)製造のNDC規格で製造されており、車体以外はほとんど同一の仕様だったことが理由の一つに挙げられます。いわばこの車両とキハ125系は人間でいえば異母兄弟(その異母でさえ割と近縁)にあたるのです。ほかにも同じ九州の松浦鉄道や高千穂線の反対側を走る南阿蘇鉄道等々、兄弟形式が九州をはじめ日本各地に散見されます。

初見だと同形式とはわからんよねぇ

いつの間にやら高千穂線で走ってた時よりも長い時期日南線にいるキハ125系400番台。宮崎から田吉の区間までは特急でも乗車券だけで乗れるので、日南線に乗りに来た際は是非乗ってみてはいかがでしょうか。

ほくほく線681・683系→JR681・683系

かつて日本最速特急の座を独占していた特急はくたか。それらに使用されていた特急電車681系と683系の内、赤いフェイスに白いボディと特に冬の時期によく目立つ塗装をしていたのが北越急行所属の車両です。京成スカイライナーが160キロ運転を行うまで日本最速の列車であり、かつ毎日運行する狭軌の特急列車としては世界レベルでもトップクラスに入るほどの文字通りのエース特急でした。

西日本の車両と混結することもあった

越後湯沢で上越新幹線と接続し、関東方面と北陸地方を結んでいた同列車ですが、2015年のダイヤ改正で開業した北陸新幹線にその使命を譲る形で廃止となります。そしてはくたか自身、かつて自分よりも前に北陸連絡を担っていた特急列車かがやきと共に新幹線の種別に栄転することになりました。その際に余剰となった同形式は、塗装を変更したうえでそのままそっくりJR西日本に全車譲渡されています。

これ元北越急行車だった・・・気がする

既存車両とほぼ同じ塗装にされているため見分けるのには少々難儀しますが、これらすべての譲渡編成は全て「しらさぎ」運用に就いているとのこと。もし運が良ければ岐阜・名古屋駅などのJR東海の駅でも見かけることが出来るかもしれません。

三セク→私鉄・公営の事例

実は私鉄にも三セクから譲渡された例もあります。全て関西の事例で、それぞれが様々な事情で車両を譲渡していますが、中には車両だけの譲渡では済まないケースも…

泉北線3000系→南海3000系

南海高野線中百舌鳥駅から分岐する泉北高速鉄道。泉北ニュータウンと大阪都心部を結ぶために建設された同線は難波駅まで南海電車と相互直通運転を行っています。泉北ライナーに使われる12000系が導入されるまで唯一のステンレス製だった3000系が同鉄道の最古参の形式となっていますが、2012年のダイヤ改正の時、これら3000系に余剰が発生しました。

そして丁度そのころ、沿岸部を走る南海本線で長く運用され続けたため老朽化が激しい鋼製車の7000系の置き換えが喫緊の課題だった南海は、これらの車両を置き換えるためにこの余剰となった3000系を購入。そして南海3000系としてデビューしたのです。大手私鉄からグループ会社の中小私鉄へ中古車両が譲渡されるのはよくある話ですが、その逆はとても珍しいケースです。

もともと南海6200系がベースとなっていることもあってよっぽど注意してみないと見分けがつかず、しかも運用も南海本線・空港線限定とはいえ他の形式と共通運用なので狙って乗るのは難しいでしょう。ちなみに泉北高速鉄道は2014年に大阪府から南海電鉄へ株式が譲渡され、第三セクターではなくなり、水間鉄道や阪堺電鉄と共に南海グループの一中小私鉄となって現在に至っています。

OTS(大阪港トランスポートシステム)各線車両→大阪メトロ24系50番台・ニュートラム100A系

実は大阪メトロ中央線の大阪港からコスモスクエアの区間と、同駅で接続するニュートラムの中ふ頭までの区間は大阪メトロの所有ではなく、大阪港のトラックターミナルを運営する第三セクター会社、OTS(大阪港トランスポートシステム)の所有となっています。さらに昔にさかのぼると、OTSがこの区間を直接運営していたり、専用の車両を保有していた時期もありました。

Wikiより転載

この区間は大阪港と中ふ頭のミッシングリンクを解消するため、全線ニュートラムに合わせて新交通システム方式にする予定でしたが、紆余曲折あって大阪港ーコスモスクエアの区間は中央線と同じ第三軌条の鉄軌道方式で建設されました。そして直通先の中央線と仕様を合わせたOTS系が一編成のみ導入されました。そしてニュートラムと直通するコスモスクエアから中ふ頭の区間にも、仕様を合わせたOTS100系が導入されました。新交通システムの路線で異なる事業者同士が互いの車両を用いて相互直通運転した事例は後にも先にもこのニュートラムとOTSのみです。

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こちらもWikiより転載。よく見ると側面の帯が青い

が、市営地下鉄とは別の会社の為、当然運賃は高くなり利用者数が開業前の見込みよりだいぶ低迷してしまいます。そこで、路線設備だけはそのままに車両と駅などの鉄道施設を大阪市営に譲渡し、あくまでも大阪市営の路線とすることで運賃値下げを図る、いわゆる上下分離方式を取ることで何とか利用客を増やすことに成功します。鉄道路線としてのOTSは消滅しましたが、この際にOTS系やOTS100系などは大阪市営に譲渡されて、それぞれ中央線の24系に、ニュートラムの100A系に編入されています。

OTS100系はオリジナルの100A系と共に新型車両200系に置き換えられて現存していませんが、OTS系は24系50番台として編入された後、22系に改造された上で谷町線に転属して今現在でも2編成全て現役です。転属の際に22系と同じ外装に帰られてぱっと見では全く見当がつきませんが、内装はOTS時代そのままのようです。谷町線に乗るときに青い座席の車両に当たったらそれが元OTS系ですので当たったらラッキーです。

なおとてもよく似た事例として北神急行の事例が存在しますが、北神急行は阪急などの大手私鉄が出資してできた純民営鉄道ですので今回は除外しました。それらについては別の記事で詳しく載せています。

あとがき:それぞれの譲渡、それぞれの経緯

三セクからJR・大手へ。普通の譲渡とは逆パターンの譲渡ですが、その理由は様々です。余剰車両を買ってもらったり、廃線による事業清算の足しにされたり、何なら設備や駅ごと譲渡するケースも…調べていてとても興味深いテーマでした。何より驚いたのは上述のOTS100系を除くすべての逆譲渡車両がいまだ現役だという事。幸運にも我々には乗車するチャンスがあります。

今日に至るまでの経緯に興味を持ったなら、改めて上記の車両に乗車してみませんか。次に乗るときには何か新しい発見があるかもしれません。(了)