初めに(少しお詫び、飛ばしてもらって結構です)

皆さん、本当に本当に本当に本当に本当に本当にほんとうにほんとーーーーーーーーーーーーに!!!!お久しぶりです。

ゴールデンウィークは有意義に過ごせましたか?自分は全くGW計画立ててませんでしたがなんだかんだで充実した連休を送ることが出来ました。

割と久しぶりに記事を投稿することになってすいません。

まぁ記事の執筆が遅れてしまったお詫びに、今回はずっとここぞと言う時のために秘めてきたネタで渾身の記事を書こうと思います。

ぜひ最後まで見て行ってくれると執筆者が羽はありませんが飛んで喜びます。

連休を有意義に過ごせたという方も過ごせなかったという方も、5月の憂鬱をほんの少しだけこの記事で忘れてみてはいかがですか?そのお役に立てれれば幸いです。

それでは今回もよろしくお願いいたします。(この後からいつもみたいに敬語口調じゃなくなりますけど気にしないでください)

横浜市営地下鉄について簡単に

それでは記事のはじめに、横浜市営地下鉄について簡単にまとめていく。

運行上2路線で成り立つ横浜市営地下鉄は、今年めでたく100周年を迎える横浜市交通局により運行されており、横浜市営バスと共に横浜市民の欠かせない交通手段となっている。

ささやかだが100周年記念のヘッドマークが貼られている

よくある地下鉄と言うよりは私鉄の一種みたいな要素が大きく、主に通勤通学で広く利用されている。

また、日韓合同開催W杯の際に決勝を行った日産スタジアムの最寄り駅である新横浜駅があった影響で日本で初めて駅ナンバリングを導入した路線としても知られており、今でも日産スタジアムへのアクセスに使われている。

主軸路線のブルーラインは6両編成で運転されており、川崎市宮前区の東急田園都市線との乗換駅であるあざみ野駅からセンター北駅や新横浜駅、横浜駅、関内駅、弘明寺駅、上大岡駅、戸塚駅、踊場駅などを通りながら藤沢市の小田急江ノ島線や相鉄いずみ野線との乗換駅となる湘南台駅に至る路線である。

路線距離は40.4km。延伸計画(後述)もあり、今後の発展が期待される路線である。

そして2008年に開業した比較的新しい路線であるグリーンライン。横浜市緑区の中山駅から港北区の日吉駅までを結ぶ13.1kmの短路線だ。

港北ニュータウンの発展にも繋がっており、沿線には港北ニュータウンの街並みが広がる。

北山田駅。お洒落で整った街並みでありつつも緑と調和した心地のいい街となっている。

四両編成の運転で、沿線人口増加が原因と思われる混雑激化のため6両編成に対応するための工事も現在行われている。(令和3(2021)年5月現在)

通学や沿線民の通勤に広く使われており、治安もなかなか良さそうな印象。

2路線の中に潜む3つの路線、そしてもう1つの路線

運行系統上この2つの路線が運行されているのだが、その中には3つの路線が合わさってできている。

まずは1号線。こちらはブルーラインの湘南台〜関内となっており、元々の計画にほぼ同じ形で作られている。

元々の計画では関内駅から六会日大前駅(当時は六会駅)までの予定だったのだが、用地回収などの諸事情で六会ではなく湘南台駅になった。

結果的に小田急・相鉄・地下鉄の3路線が乗り入れるターミナルとなったので良かったのだと思うが。

そして3号線。こちらは訳ありで、元々の路線計画があざみ野から関内を通り本牧地区へと向かう予定だったのだが、後々に出来た某みなとみらいの高速鉄道なども関係して本牧地区へと向かう計画は白紙となり、関内までが作られた。

これが今のブルーラインあざみ野〜関内の区間となっており、今では1号線と3号線が直通運転を行い殆ど1つの路線として認知されている。関内駅も実質的に路線としては単なる通過駅でしかない。

そして4号線。こちらはグリーンライン区間となっていて、最も新しい路線である。

実は、グリーンラインは横浜環状鉄道計画という路線に沿って立てられた路線で、日吉側は鶴見の方に、中山側は二俣川などの方面に向かったあと上大岡の方に入り最終的に鶴見まで向かうという横浜市内をぐるっと回る超大規模な路線計画が裏に存在しているのだ。

もっとも、これが高度経済成長期やバブル経済などといった経済がよく回った時期であったのなら実現出来ただろうが、経済もあまりよく回らず少子化による人口減少の影響で利用増加も見込めない中このような大規模環状鉄道を作ることは到底無理だろう。

今後どうなるかは分からないが、おそらくこれ以上の延長は行われないものだと自分は思う。

さぁ、この裏には三路線がある。1号線、3号線、4号線。

ん?何か忘れていないか?そう、2号線の存在である。

2号線は、みなさんもお察しの通り(てかタイトルに書いてあるけど)かつて計画されていた未成線なのである。

後述で説明するが、2号線は横浜市東部を通るとある私鉄とかなり深い縁を持っていたのであった。

横浜市交の歴史と地下高速鉄道の計画

さて、それを話す前にまず横浜市交通局の歴史からもこの路線について探っていこう。

戦後、復興のために港町横浜の開発を進めるため「横浜国際港都建築法」というものができた。

そこで交通においても改革が生まれた。従来あった市電に加えトロリーバスが走るなど、横浜市営交通もさらなる発展に向けて動き出していた。

当時の市電路線図(横浜市電保存館に保存された車両より)

トロリーバスは三ツ沢球技場で有名な三ツ沢公園の付近などを走り、多くの人に利用された。今もトロリーバスの区間は数多くのバス路線が走っておりとても賑わっている。

ただ、トロリーバスや市電には重大な問題があった。

さらなる宅地化による巨大ベッドタウン化と港町としての発展を遂げる横浜市において、深刻な道路混雑問題が発生したのである。

これはどの都市でもそうなのだが、横浜市も例外ではなく、1972年の地下鉄開業に伴って市電は姿を消した。

市電を廃止する際、バスなどに代行輸送が振り返られたのだが、そのうち特に混雑が酷かった4路線は地下鉄として建設されることとなった。

それが、ずばりこの地下鉄計画4路線なのである。

横浜市高速鉄道計画として計画されたこの4つの路線は、それぞれ別の運命を迎えることになったのである。

幻の2号線とハマの赤いアンチクショウの切っても切れない縁

その2号線が通っていたルートは、某ハマの赤いアンチクショウ、所謂京浜急行電鉄の路線ととても深い関係にある。

というのも、この路線自体が京急のバイパス的な役割を担う予定になっていたのだ。

その昔、京浜急行は地下鉄線との直通などを控えており、とても混雑が悪化していた。

各駅停車や優等種別問わず混雑が激しく、このままでは運行に支障が出るくらいにもなっていたそうだ。

そこで、各駅停車だけでも混雑を減らそうという所謂混雑緩和のための策としても2号線が期待されたのである。

ルートは神奈川新町駅から始まり、海沿いの高島町や関内周辺を通ったあと藤棚町などを通り同じ京急線の屏風浦駅へと至るというものだ。

つまり、市内移動で京急を使う人を地下鉄にシフトさせることで、少しでも混雑緩和に効果を出そうとしたのである。

(詳細は分からないが、)京浜急行との直通計画まであったと言われている。

このまま事は進み、2号線が建設されるかとなった時、重大な事態が起きる。

京浜急行電鉄が混雑緩和に向けてダイヤを大幅に変え始めたのである。

快速特急・特急など優等種別の大幅な増発、ラッシュ12両増強など、利用しやすく混雑緩和に大幅な効果を与えるダイヤへと変更し、京急自身で解決に向けて動き出していたのである。

2号線は藤棚周辺を通るなど京急バイパス以外にも利用価値はあったものの、京急のバイパス線以外としての役割はバスで事足りるようなものばかりであった。つまり、鉄道で運行するほどの輸送力には到底及んでなかったのである。

こうして、2号線は需要が見込めないと判断され、ついに凍結となった。

今でも足跡は市営バス102系統のルートで辿ることが出来る。バスも市内を走る他路線と比べたら多いかもしれないが本数は地下鉄に換算するとあまり多いとは言えなさそうな程しか走っていない。

横浜は鉄道の計画性がない土地なのか

この二号線計画や、4号線の横浜環状鉄道計画、3号線の本牧延伸など、横浜市高速鉄道計画は従来の計画とはほとんど違う形で実現された。

1号線にしても、それが結果的には功を奏したとはいえ元々六会駅(現・六会日大前駅)に繋ぐ予定だったものを湘南台に移転したという事実で見れば変更があったと言えよう。

ブルーラインの新百合ヶ丘延伸計画など、横浜市営交通はさらなる発展を遂げるが、それと同時に計画性がないものなのかなと考察をしてみる。

東横線の桜木町〜横浜の廃止についても大きな目で見れば2号線本牧延伸中止と関係があると言える。(みなとみらい線の建設が両方大いに関係してきている。)

横浜駅も3度駅を移転してる上、新駅舎の完成も大幅に遅れている。(去年完成)

横浜市営交通は今年100周年を迎える。今後も発展していくとは思うが、果たしてどのような形で10年後、20年後存在しているのかについて、この節目の年に今一度考えてみるのも重要だと思う。

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