日本の植民地だった台湾では、台湾新幹線700T型電車をはじめ、TEMU1000形電車やTEMU2000形電車など、多くの日本製の鉄道車両が走っています。それは、日本と同じ1,067mm軌間を採用し、日本統治時代にはC57形やD51形など、鉄道省と同じ蒸気機関車が多数導入されたことも、その背景として挙げられます。

戦後、台湾は中国大陸から逃れてきた国民党の統治と様変わりしたものの、鉄道に関しては、日本が遺した蒸気機関車や客車が引き続き使用されました。日本の鉄道では、1956年の東海道本線全線電化をきっかけに、電化網が四国を除く日本全国へと拡大されましたが、台湾と中国の間での軍事的な緊張もあり、空襲で送電網が破壊されることを恐れて、電化を進めることはありませんでした。こうした時代背景のなかでも、1966年に東急車輛製造(現:総合車両製作所)で製作され、台湾に輸入されたのがDR2700形気動車で、「光華号」としてデビュー、台北-高雄間を4時間40分という驚異的なスピードで結びました。

台湾国鉄DR2700形気動車。電化と共に西部幹線を追われ、最後は東部幹線の「普快車」として2014年まで活躍、現在は動態保存された8両のみが残る。写真は「リバイバル光華号」の時のもの。

その後、1979年にようやく西部幹線が電化されると、イギリスからEMU100形電車が輸入され、「光華号」は「自強号」と名を改め、 台北-高雄間は4時間余りと、若干スピードアップされました。このEMU100形電車の増備車として南アフリカからEMU200形電車、イタリアからEMU300形電車が輸入されましたが、電車特急は極めて限定的なものとなり、旅客輸送の主体は客車列車のままでした。

台湾国鉄EMU100形電車。日本では近鉄18000系電車や名鉄7300系電車など限定的だった釣り掛け式主電動機を採用した特急形電車となる。相次ぐ事故廃車で制御車が不足したため、制御電動車からの電装解除で補った。2009年に定期運用から引退、現在は3編成が動態保存されている。写真は臨時「自強号」で走行した時のもの。

一方、台湾西部と比較して、険しい山々が続く東側の鉄道整備はなかなか進みませんでした。花蓮-台東間を走る台東線の建設には多くの原住民が導入され、1926年に開通したものの、台北とは船またはバスとの連絡となりました。また、この路線は762mm軌間の軽便鉄道規格であったがゆえに、高速化は困難で、花蓮-台東間は旅客列車で7~8時間も掛かっていました。その後、1966年にはナローゲージ規格のまま気動車が投入され、最速の「台東線光華号」で3~4時間に短縮されたものの、抜本的な解決には1980年の台北-花蓮間を結ぶ北廻線の完成、さらに1982年の台東線の1,067mm軌間への改軌工事の完了まで待たなければなりませんでした。長い時間を掛けて台北-台東間が一本の鉄路で結ばれたことにより、東部幹線にも「自強号」が設定され、日本からDR2800形気動車が輸入されました。

台湾国鉄DR2800形気動車。1982~4年に 東急車輛製造(現:総合車両製作所)で製作された特急形気動車で、湿度の高い台湾で腐食しないようにオールステンレス車体を採用した。後継のDR2900形やDR3000形とも混用されている。

台湾最後の難関となったのが、台湾最南部で西海岸と東海岸を結ぶ南廻線でした。中央山脈を横断するため、トンネル区間が約3分の1を占めるなど、工事には困難を極めましたが1992年に開通、ここに台湾一周電化が完成し、バリアフリーに対応したDR3100形気動車が輸入され「自強号」も増発されたことにより、鉄道での周遊が可能になりました。

南廻線を走る「普快車」。牽引されている客車は1960年代に日本から輸入された車両で、国鉄43系客車と同等の雰囲気を醸し出す。2020年12月の台湾一周電化まで活躍、その後は動態保存されている蒸気機関車用の客車として残る。

1987年に戒厳令が解除されたことを契機に、1990年代には両岸関係(台湾と中国大陸との関係)も改善され、西部幹線沿線に半導体の工場が多く立ち並び、経済交流が盛んになってくると、台湾人の生活もこれまでと比較して豊かになり、国内旅行も一般的なものとなりました。しかし、鉄道に目を向けると、西部幹線の複線化と電化は完成したものの、運行体系は旧態依然とし、客車列車の「莒光号」や「復興号」を中心とした汽車型ダイヤで、必ずしも使いやすいものとはいえませんでした。

さらに、車両自体も老朽化が進み、増加する旅客をさばくことが難しくなったため、乗降・所要時間短縮、客室サービス向上を目的に少しでも状況を改善すべく、E1000形プッシュブル式特急形電車とEMU400形通勤形電車が南アフリカより輸入され、韓国製のEMU500形電車やEMU600形電車が増備車として導入されました。だが、高温多湿な台湾ではこれらの電車は故障が多発し、「自強号」も運休や遅延が相次いだことから、改善の声が日増しに強くなりました。そこで登場したのがJR九州885系電車をベースに、日立製作所で製造されたTEMU1000形電車で、「太魯閣号」として、2006年に運行を開始しました。

台湾国鉄TEMU1000形電車。「かもめ」や「ソニック」に使用されるJR九州885系電車をベースとした車両で、現在では東部幹線の運用を主体としている。「太魯閣号」という愛称は、台湾原住民のタロコ族と沿線の太魯閣国家公園に由来する。

TEMU1000形電車の登場により、台北-花蓮間は2時間を切ったものの、人気が集中したうえに、立席乗車が認められなかったため、座席数確保を目的として、さらなる増発が求められました。また、非電化であった台東線沿線へのアクセス向上のため、台東線の電化と部分複線化が決定されたこともあり、「自強号」を気動車から電車へ置き換えることになりました。こうした背景から登場したのがTEMU2000形電車で、「ミュースカイ」で使用される名鉄2000系電車をベースに車体傾斜システムが採用されました。2013年より「普悠瑪号」として営業運転を開始、西部幹線にも運用範囲を拡大しています。

台湾国鉄TEMU2000形電車。日本車輌製の車両で、TEMU1000形電車と比較して、所要時間を維持しつつコストダウンを図るため、車体傾斜式システムを採用、座席は台湾の佳豊機械設計工業が納入、「普悠瑪号」という愛称は、台湾原住民のプユマ族に由来する。

こうして、「自強号」の増発と時間短縮が実現したものの、従来の長距離列車や貨物列車を中心としたダイヤでは、普通列車は発車間隔が一定せず、途中駅で待避のために長時間停車し、また列車本数が少なく利用しにくい状況は変わりませんでした。日本の国鉄末期からJR初期にかけて見られたのと同様に、長距離・長編成の普通列車を、高頻度の電車へ改めることによって、時間短縮とサービス向上を図るフリークエンシー化(台鉄捷運化)を目的に、2007年から投入されたのがEMU700形電車です。EMU700形電車はJR東海313系電車をベースに日車標準車体を採用し、量産先行車は日本車輌製造で製作されましたが、量産車は日本からの技術移転により、台湾で初めて内製された電車となります。

台湾国鉄EMU700形電車。「区間快車」と「区間車」に使用される通勤形車両で、藤子・F・不二雄の漫画「ドラえもん」に登場する、骨川スネ夫の尖った口に似ていることから、台湾の鉄道ファンの間では「小夫号・阿福号(スネ夫号)」と親しまれている。

乗降が楽になったEMU700形電車は、多くの利用客に好評で迎えられ、落ち込んでいた台湾国鉄の乗客数増加に寄与しました。さらに六家線・沙崙線の開業、台東線電化と一部複線化、および西部幹線におけるフリークエンシー化によって、中短距離輸送などで需要増加が見込まれ、新たな通勤形電車が必要となりました。そこで2012年に登場したのがEMU800形電車で、EMU700形電車に準ずるものの、バリアフリー対応が強化され、自転車置き場が設置されました。

台湾国鉄EMU800形電車。 EMU700形電車の増備車として日本車輌製造と台湾車輛で製作、当初はセミクロスシート車であった。台北近郊の利用者増加に伴う混雑悪化が課題となってきたため、880番台に区分される最終増備車はロングシート車となり、写真のように青色と黄色の塗装の配置が逆となった。

今後、台湾国鉄ではさらなるフリークエンシー化を進めるために、「自強号」用のEMU3000形電車と通勤用のEMU900形電車を大量導入したうえで、台北・台中・高雄近郊に次々と新駅を開業させる予定です。今はコロナ禍で渡航が大変な時期ではありますが、日本ではほとんど見られなくなってしまった長編成の客車列車を乗ったり、撮ったりするために台湾を訪問してみてはいかがでしょうか?JR各社との共通点や相違点なども探りながら、台湾国鉄を見てみると面白いものですね。