1、このシリーズと筆者の紹介

皆さん、こんにちは。今回初めて記事を書かせていただくいそぎんちゃくと申します。これから主に東武鉄道と東京メトロをはじめとする関東の私鉄を中心に書いていきたいと思っておりますので、よろしくお願いします。

この連載は時代とともに変化する需要に応じて変化する東京メトロの輸送体系と車両について書いていきます。この記事は現地に赴き、実際にその車両、列車を調査して書いております。情報についてはできる限り裏付けのある信憑性の高いものを使っておりますが、もし誤植等がありましたら、Twitter @isotetu_train に御連絡お願いします。またこの記事の内容について鉄道会社、役所などの公的機関、第三者に問い合わせることは控えていただきますようにお願いします。

北綾瀬駅にて05系13F

2、05系とは

1980年代、営団地下鉄は車両冷房設定という大きな問題を抱えていました。それは地上区間の長い東西線で特に激しく、また利用者の増加に合わせて運用数も日々増えていきました。そのため営団は、半蔵門線用の新車8000系を一時的に東西線に配属するなどしました。その頃に開発が進んでいたのが東西線05系です。20m級10両、アルミニウム車体で車内案内表示器、ドアチャイムを装備しています。駆動装置はGTOサイリスタチョッパ制御(いわゆるバイオリンチョッパ)のMT比1:1となっていました。

その後もかなりの改良がくわえられ、第14編成から18編成はワイドドア車として誕生しました。その頃各線では多ドア車が多く誕生しました。そのため、05系の多ドア車の増備もストップしました。その後05系は仕様変更されて05N系として増備がなされ、有楽町線からの07系によって東西線5000系の置き換えがおわりました。しかし、ここで置き換えが終わったのは、あくまでも東西線用だという事がこの後大切になっていきます。

北綾瀬駅にて05系13FF

3,北綾瀬支線とは

千代田線の開業時、この路線はただの車庫への引き上げ線で、駅の設置はありませんでした。しかし、沿線が急速に発展したため1979年に北綾瀬駅が開業し、旅客路線としての歴史が始まりました。需要はあまり見込めなかったので3両編成が往復するだけの運転体系でした。車両は5000系と6000系ハイフン車が用いられました。この体系は2010年代前半まで続きました。しかし、2010年代後半に10両編成化、本線直通の構想が出てきます。

05系06F

4,05系と北綾瀬支線

日々悪化していく東西線の混雑。直通先やホームドアとの関係もあり、多ドア車を導入することも現実的ではない中、ワイドドア車の導入が検討されました。その頃05系前期車はB修繕を行う時期になっていたので、新形式のワイドドア車15000系による置き換えが決定しました。元々この車両は05系14次車を名乗る予定もあったようですが、有楽町線の10000系に準じた設計になっているので15000系を名乗ったようです。そのため、第1~13編成が運用を離脱、廃車されました。これらの車両の大多数はインドネシアのジャカルタに譲渡され、現地の通勤輸送を担っているようです。しかし、譲渡されなかった1,3,6,13編成は暫く放置されていました。その頃、千代田線北綾瀬支線の5000系と6000系ハイフン車の老朽化がいよいよ深刻になってきます。それらの置き換えに05系を活用することになりました。修繕内容としては3両編成化、制御装置のハイブリッドSiC-VVVFインバータ制御化、LCD車内案内表示器の取り付けなどが行われました。そして2014年に営業運転を開始、既存の車両を置き換えました。またこの05系には2016年に完成した新木場の研修センターなどでの研修にも活用されています。

綾瀬駅0番線

5,05系の今後

東西線の未修繕05系、05N系のB修繕の計画の出てきている現在、東西線に残った05系の今後も心配ですし、インドネシアの05系に関しては大部分が廃車となってしまったようです。北綾瀬支線の05系は今後もかなり活躍するでしょうし、3両編成なので、譲渡の可能性も考えられます。今後も変化の激しい05系と東西線、北綾瀬支線に注目です。最後までご覧いただき、ありがとうございました。