駅の紹介
設備
八日市場駅は千葉県匝瑳市八日市場イ108にある東日本旅客鉃道(JR東日本)の駅です。所属は総武本線で、相対式ホーム2面2線の地上駅であり、南側のホームが東京方面行が発着する1番線、北側のホームが銚子方面行が発着する2番線となっています。互いのホームは跨線橋で連絡しています。同線の起点東京駅からは営業キロで約93.1km離れています。
駅舎は北口にあり、2番線に直結しています。駅舎内には近距離券売機(EM22)と指定席券売機(MV50)がそれぞれ1台、改札には簡易Suica改札機(ICカードリーダー)が入場用・出場用としてそれぞれ2台設置されています。待合スペースが改札外に設置されています。トイレは駅舎とは別の建物にあります。
駅前には北口・南口共にロータリーが整備されています。バス・タクシーは北口で乗降することが殆どです。また、南北自由通路が駅舎の西隣に整備されています。
当駅は駅内外共にバリアフリー対応です。エレベーターは跨線橋と南北自由通路を兼用する構内外共用型です。








なお、かつて走っていた113系では総武本線の銚子行・千葉行の列車であると案内する際に方向幕に「八日市場回り」と書かれていました。また、千葉駅では、現在も総武本線の銚子行の列車を案内する際に発車標に「八日市場回り」の表示がされています。
沿革
1897年(明治30年)6月1日:総武鉄道の駅として開業。
1907年(明治40年)9月1日:総武鉄道が買収され、帝国鉄道庁の駅となる。
1926年(大正15年)12月5日:千葉県営鉄道(後に成田鉄道)多古線開業。
1944年(昭和19年)1月11日:多古線が不要不急線として休止となる(1946年廃止)。
1974年(昭和49年)10月1日:貨物扱い廃止。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉃道(JR東日本)の駅となる。
1989年(平成元年):駅北口広場が完成。
1995年(平成7年)3月1日:高速バス「東京 – 八日市場線」運行開始。当駅(八日市場駅前停留所)にも乗り入れるようになった。
2006年(平成18年)4月1日:「みどりの窓口」が廃止され、「もしもし券売機Kaeruくん」を設置。
2007年(平成19年)9月1日:南北自由通路開通。
2008年(平成20年)7月30日:南口広場が完成。
2009年(平成21年)3月14日:ICカード「Suica」の利用が可能となる。東京近郊区間に組み込まれる。この頃に通信用アースが設置されたか。
2012年(平成24年)
3月7日:「もしもし券売機Kaeruくん」が稼働停止。
3月8日:「指定席券売機」が稼働開始。
4月1日頃:業務委託駅となる。
2018年(平成30年)10月27日頃:「近距離券売機」が更新。それと同時に台数削減。
2019年(令和元年)頃:1番線ホームの壁が一部撤去。代わりに工事用の柵を設置。
2020年(令和2年)5月:「指定席券売機」が更新。
2022年(令和4年)
9月17日:高速バス路線が再編され、「東京銚子線 匝瑳・横芝光ルート」運行開始。当駅(八日市場駅前停留所)乗り入れは継続。
謎の動向とは
これにつきましては、外部事情などと共に見ていきましょう。
- 2006年頃・2019年頃
これは南口設置と少しだけ取られたスペースにはどういう関係があるかという謎です。
これらについては、南口駅舎設置に関する案件あるいは跨線橋の改修に関する案件かと思われます。というもの、八日市場駅が所在する八日市場市(現匝瑳市)はJR東日本に対し自動改札機付の南口改札設置を求めていましたが、要望は通らず、現在の北口を出てから自由通路を通って南口に至るという方式に落ち着きました。恐らくJR側が『南口改札を設けても利用者がいないだろう』という推測をしたからこうなったものと思われます。
しかし、ほぼ同年代に出来た(と思われる)成東駅の跨線橋が2017年頃2012年12月に切り替えられ、新しくなったことより、こちらの跨線橋もそろそろ更新時期に入ったと思われることから、これを機に南口駅舎を設置する可能性も考えられます。成東駅・銚子駅の駅舎が最近建て替えられたことから、他駅にもこの動きが波及することで、南口駅舎設置に繋がることも有り得ます。事実、先述の通り2019年に1番線の壁が一部取り壊され、何かしらのスペースが少し取られています。これがどういった使い方をするかでこれらの謎が解き明かせそうです。最も、成東駅は外装、特に入口側のみ更新され、建屋自体には手を付けていませんが、話がズレるので省略します。
考えられる使い方は、
- 南口駅舎設置
- 仮駅舎設置
- 何にも使わない
- ホームの拡幅
- 新跨線橋設置
- 工事資材の置き場
の6つです。先に出したものの方が可能性が高いと考えます。
まず1番目の「南口駅舎設置」ですが、こちらは、南口駅舎設置→北口駅舎建て替え→跨線橋更新、北口には手を付けない前提として南改札を設置する、あるいは私鉄の小駅に多い上下線で改札口が分離されている構造にするの3つが有り得ると考えますが、これも先に出た方が可能性が高いものとします。
これは八日市場駅の設備老朽化・JRならではのこだわりが影響すると考えた結果です。JRは理由もなく改札毎に設備の格差が付くことをあまり好まない傾向が見られますし、互いのホームが改札内で繋がらない構造を嫌っています。もっとも、JR東日本管内で改札が分離されている駅があるとは聞いたことがありません。このスペースは平坦ではなく、傾斜がついているため、整地は必要となります。本当に小さい駅舎にしない限りは、広場を作り直すことが予想されます。広場を作り直すという手段は駅舎設置の実現手段の一つという位置付けとなることを付記しておきます。
続いて2番目の「仮駅舎設置」ですが、こちらはぶっちゃけ東淀川駅のように既存の設備を活用して橋上駅舎化してしまうケースと見ても差し支えがありません。この場合、仮駅舎設置→跨線橋撤去→新駅舎建設→地上駅舎撤去の流れと見ます。これの問題点は先述した通り『エレベーターは跨線橋と南北自由通路を兼用する構内外共用型である』と、『自由通路がスロープに変更できそうにない』の2つです。当駅は南口が顕著ですが用地の余裕が殆どないので、これらが鬼門となってしまいます。広場を作り直すという手段は北口では最終奥義、南口では実現手段の一つという位置付けとなることを付記しておきます。
3番目の「何にも使わない」ですが、こちらは工事範囲の広さが殆どないことから考えたものです。また、南口広場とホームの高さの差が推定1m以上あることも影響します。これらから壁の老朽化のために壁を撤去して放置という流れといったものと考えられます。
4番目の「ホームの拡幅」ですが、当駅は跨線橋の辺りで人の流れが止まることがしばしばあるとのことから、それの解消の為の用地として工事をしたといった考えが出てきました。ただ、今の状況から、今すぐこれを行うとは考えられないでしょう。
5番目の「新跨線橋設置」ですが、反対側がベンチのあるところにあたるため、位置的に結構無理があります。しかも、そこにうまく跨線橋を配置できるとは思わないので、結構現実性は低くなります。ただ、そこにうまく跨線橋を配置できれば相当なものですが。
最後、6番目の「工事資材の置き場」ですが、そこに資材を置けるかは甚だ疑問です。というのも、そこは先述の通り平坦ではなく、傾斜がついているところとなるので資材置き場には適さないからです。相当なことがない限り、こう使うことはないでしょう。
ここで挙げたもの以外の使い方がされるとは考えにくいです。今後、動きがあったら追記という形で記述しようと思います。
- 追記
2021年4月頃、柵とベンチが追加設置されました。しかし、これらについては暫定的なものになるかもしれません。

- 2012年春以降
これはどうしてインターホンを用いた券売機が姿を消して、今尚戻ってこないのかという謎です。この謎は市内どころか、全国の動向を見ないと解決できないであろう謎です。
この頃はみどりの窓口を廃止したかわりに設置された「もしもし券売機Kaeruくん」の指定席券売機への置き換えが進んでいた頃となります。先述の通り、当駅も例外ではなく、この動きがありました。しかし、この動きは当然弊害もあります。これにより買えなくなる乗車券が幾つか出てしましました。これが関係するかは不明ですが、2017年10月に営業再開した富岡駅では通話ができる指定席券売機が設置されました。
現代日本が抱える少子高齢化のせいか、みどりの窓口は減少傾向にあります。ここで、指定席券売機とみどりの券売機が同じものだと踏まえた上で、これに対する東西JRの対処法を比べてみましょう。
指定席券売機・もしもし券売機Kaeruくん→指定席券売機
JR西日本
みどりの券売機→みどりの券売機・みどりの券売機plus
このような感じとなりました。JR東日本は先進的な技術を導入したものの、失敗して衰退したとも考えられます。一方JR西日本は後から新技術を導入し、継続的に採用しているとも考えられます。JR西日本はみどりの券売機plusを用いて管内のみどりの窓口設置駅を30駅まで減らそうとしています。そして、2020年は人との接触を避けることが重要視されていました。この情勢を機に、JR東日本にはインターホンが付いた指定席券売機の復活・再拡大をしてもよいと思いますが、正直実現性は微妙ですかね。
余談ですが、どこかのタイミングで駅を遠隔管理するとある2会社についてを取り上げると思います。記事が出来次第、ここに貼る予定です。
まとめ
JR東日本八日市場駅は、今では存在は地味になってしまいましたが、今でも案内に当駅の名前が所々にあるなど、まだまだ交通の要所となっている駅です。また当駅は外部事情に何度か振り回された可哀想な駅でもあります。まもなく設備更新をせねばならない時期に入ってしまった駅であり、何かしらの動きが出てくると容易に考えられます。この記事で取り上げた2つの謎が解明されるかはわかりませんが、今後の動向に目を離せないであろう駅の1つです。この記事でこの駅のことに関心を持ってくれたらいいなと思います。
それでは、今回はここまでです。