東京の南側、品川駅を起点とし神奈川県東部、主に三浦半島を結ぶ、空港アクセス鉄道でもある京急電鉄。
探っていくと色々な興味深い要素が沢山あるのだが、その中の一つである久里浜線の油壺延伸計画について探っていこうと思う。
計画の概要
まず、具体的にこの延伸計画がどういうものだったのか、その背景なども含めてざっくりと説明していく。
元々は三浦海岸駅から三浦半島の最南端の三崎港付近(暫定名称・三崎駅)まで伸ばす予定だったが、それに関しては用地関係で1970年に既に計画凍結されているので触れないこととする。
この計画は、今は京急久里浜線(実質本線と化してるが…)の終着駅である三崎口駅から油壺駅までを結ぶ路線計画で、今から16年前となる2005年に事業免許が取り下げられ実質上の「計画凍結」となり、2016年に正式に計画が凍結され白紙撤回となった。
というのも、元々久里浜線が三浦海岸まで開業後、「三浦海岸〜油壺」までの区間で延伸する計画で、三浦海岸〜三崎口の開業は最初は単なるその中間点に過ぎなかった。
久里浜線が三浦海岸延伸開業後、1968年の「京急油壺マリンパーク」の開業もあって、油壺地区への延伸の機運は高まる。
しかし、沿線を走る国道134号線との交点までは建設が進められたものの、様々な問題(後述)によりその後の建設が難航した。
そこで京急は、暫定的なターミナルとして1975年に国道との交点付近に三崎口駅を設置し、暫定的延伸開業させた。
その後、建設ルートとなっている小網代地区の風致地区指定により路線建設計画は更に難しくなる。
運輸政策審議会では2015年までに開業するのが適当だとしていたが、先述の小網代地区が路線ルートに定められていたことが大きく、
2005年に京急は三崎口〜油壺間の免許を取り下げ、2016年には正式に計画凍結し、この計画は白紙に戻されてしまった。
理由としては、事業の長期化が見込まれることや三浦市の人口減少や地価下落などが挙げられ、収支を得にくくなったものと見られる。
三浦市は消滅可能性都市であり、特に鉄道が通っていない三崎地区では人口減少が著しい。
三浦市の衰退は年々深刻化してきており、三浦市の交通を大きく支える京急も含め今後解決に動くべき課題である。
廃止の背景
では、この路線の廃止の背景には大きく何が関わってたのだろうか。
これには2つの理由が挙げられる。
- 用地買収の難航
- 風致地区指定
- 小網代地区の自然保護
用地買収の難航
まず、用地買収の難航について解説をしていく。
昔、京急が久里浜線の延伸を急いでた時代、西武鉄道による藤沢から三浦半島西海岸を通るルートの路線が計画されており、実際に用地買収も行われていた。
それによってどんどん延伸計画に拍車をかけられ、延伸が進められた。
しかし、用地買収において困難があったと言う。
延伸計画上にある三戸地区は農業が非常に盛んな地域で、農家や昔からの地主が入り組む形で複雑に土地が所有されていた。
そして当時は高度経済成長期であったこともあり、さらなる地価の高騰を予想し土地を手放さない農家も沢山居たことが用地買収が難航した1つの理由と言える。
風致地区指定
そして、延伸計画上にあった地域が風致地区指定されたことももうひとつの理由だろう。
これは、1970年に三浦市が三戸地区と小網代地区を市街化区域に指定したことが遠因となっている。
これは、市内に拠点を置かない京急のような企業でも開発ができるようにするというものだ。
そしてそれによって闇雲に開発が行われてしまっては農業も漁業もやりにくくなると市街化区域に対抗して置かれたのが「風致地区」だ。
風致地区では建ぺい率や建物の高さの制限などが決められており、三浦市は海岸線のほとんどが風致地区となっていて、かつ西海岸は制限が厳しい第1種風致地区に指定されている。
これは油壺駅の建設や京急油壺マリンパークの巨大テーマパーク化が困難な要因でもある。
この「風致地区」が開発の障害となっているのは紛れもない事実である。
小網代地区の自然保護
元々、広大な敷地である小網代の森一帯では、線路の他ゴルフ場建設が予定されていた。
これに待ったをかけたのが市外の環境保護団体や大学教授たち。
現在の上皇様がハゼの研究をした場所でもある小網代の森を開発により無くしてはならないという機運が地元住民も含め高まったのも理由にあるのではないかと思われる。
また、そもそも小網代の森は元々何人かが所有していた里山で、戦後も薪を集めたりヤマユリを刈って売ることなどで生計を立ててる人が沢山居て、過去には稲作も行われていたのだが、
それらが辞められ、雑草が生えて湿地帯を形成したことにより出来た森である。
そして神奈川県がゴルフ場開発中止を表明すると地権者たちは小網代の森の保全に力を入れることとなり、その中には京急も居たのであった。
今は凍結が始まる前から進められている開発が進められており、宅地となる予定で、人口増加に期待がかかっている。
たられば解説
それでは、この計画がもし完成し、油壺まで開業していたらどうなってたのか考察してみる。
この計画は風致地区に指定されたのが最も大きな凍結の原因と言える。
開発の障害となっている風致地区が設定されていなければ、ほぼ確実に開発が進み開業がなされていたことは事実だろう。
小網代地区や三戸地区では市街化地域と風致地区が重なっている部分が沢山あり、もし風致地区に指定されていなければほぼ確実に開発が進められ延伸もやりやすくなっていたことは確かである。
自然と開発を共存させていくことは改めて難しいと思い知らされる現実だ。
まとめ
沿線の農民達の反対がこの計画が凍結した1つの理由ではあると思う。
小網代地区の開発については解決すべき問題が山ほど多いのが現状である。
自然と共存させていくのは重要なのだが、三崎地区がどんどん衰退していく中、延伸計画の凍結を素直に受け入れられないのもまた現実なのではないだろうか。人口減少に悩まされる三浦市の現実や事情が、この延伸計画凍結の裏側からよく見える。
人口減少は今や日本全国で問題となっており、三浦市や神奈川県としての問題だけでなく、日本全体でこれについて取り組んで行くのが重要であり、また早急に解決すべき問題でもあると染々に思い知らされる。
最後に
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