こんにちは、AJR-NEWS.comライターのうしてつです。

さて、前回の記事で予告した通り、今回から「京都市営地下鉄~過去とこれから~」という記事を連載を開始していきます。

全7回にわたって、連載を開始するので、よろしくお願いいたします。

 

さて、今回のテーマは「市電と地下鉄」ということで、どうやって市電が廃止されて地下鉄が建設されたかを解説させていきます。

日本初の電気鉄道・京都市電

1895年2月1日、京都電気鉄道が七条停車場(現在の京都駅周辺)~下油掛(現在の伏見区京橋)の間で開業しました。当時の鉄道は蒸気機関車しかなく、電気鉄道は京都が初めてでした。

ちなみに、京都電気鉄道の電気は開業4年前に開通した琵琶湖疎水を使って、琵琶湖の水を集めて発電した電気が使われました。

ちなみに、私も小学校4年生の時に琵琶湖疏水を社会の授業で学習し、校外学習で見学しました
めちゃくちゃなつかしいw

琵琶湖疎水(フリー写真サイト・BlueWindより)

京都市参入

1912年6月11日、京都市は電気軌道事務所を発足させ、烏丸線の七条駅前~烏丸丸太町、千本大宮線の壬生車庫前~千本丸太町、四条線の四条西洞院~四条小橋、丸太町線の烏丸丸太町~千本丸太町の4路線を開業させます。

その後京都市は1912年~1917年の5年間で、東山線・七条線・今出川線を開業により、京都市の拡大が始まりました。

京都電気鉄道も1914年に最後の延伸区間となる、伏見線 東浜~中書島が延伸開業し、七条駅前 – 中書島全線開業しました。

そして、1918年に京都市が京都電気鉄道を買収しました。最初の開業から買収までの年期はわずか6年という、驚異の速さです。

京都市電(写真は岡崎エリアで観光案内所として利用されてる車両)

路線拡大と廃止

その後京都市は各地で路線の拡大や、四条大宮~梅津間の梅津線で都市交通として日本初のトロリーバスの開業(1932年)など路線の拡大を進め、遂に1978年3月に都電の大塚駅前~本所一丁目など7線区が廃止され、京都市電が日本最大の路線網を持つ路面電車になります。

しかし、モータリゼーションの波に押され、京都市電も路線の廃止が進みました。

1961年の京都駅前~北野間の堀川線を皮切りに、各路線で廃止・市バスへの転換が進み、遂に1978年10月にすべての路線が廃止され、こちらも市バスへの転換がされました。

地下鉄の計画

1968年11月に京都市の交通対策協議会では、ある計画が必要だと述べられました。

それが高速鉄道(地下鉄)の計画です。

この答申では、市の中心地である四条通り・烏丸通りを交点として京都市南部の工業地区(南区、伏見区辺り)と京都市北部の住宅地(北区、左京区)を結ぶ路線と新興住宅地の京都市西部(右京区辺り)と京都市東部(東山区、山科区辺り)を結ぶ路線の2つが計画されました。

翌年の1969年、市高速鉄道構想を市の全体計画の中に位置付け、通勤通学の輸送を効率的に輸送できると視野に入れました。

そして同年に「京都高速鉄道建設計画書」が策定され、計画として北山~下鳥羽の南北方向の路線と天神橋~山科の東西方向の路線を建設するという計画が立てられました。

京都市営地下鉄の計画

しかし、運輸省は計画性・明確性が欠けるという理由から、これに慎重な姿勢でした。

結局1971年の都市交通審議会答申第13号で発表、GOサインが出され、新設すべき路線として南北線を北山~鳥丸通~竹田~三栖とし、東西線を六地蔵~山科~御地通~太秦~洛西ニュータウン~長岡京と計画し、優先的に南北線改め烏丸線の北山~竹田間を建設し、その後東西線を建設するという計画を立て、1974年に着工が開始しました。

ちなみに着工が開始された1974年、京都市は記念メダルと乗車券のセットを開業前にも関わらず発売され、このときのセットで開業時の試運転に乗れるというかなり画期的なものが発売されました。

あとがき

というわけで今回は、京都の市電と地下鉄について解説していきました。

さて、今回の章はここまでです。次回の記事は烏丸線の開業した時の様子について解説していきたいと思います。

今回はこの辺で失礼します。

それでは皆さんさようなら!