都電の全Bトレインショーティー

こんにちは!6022Fです! みなさん路面電車は好きですか?僕は大好きです!ちっこい車両がカーブをくねくね曲がって、道路の真ん中を堂々と走る姿は、なんとも言えない魅力が詰まっていると思います(*’ω’*)

かつて日本中どこにでもあった路面電車ですが、車の邪魔だと言われ1970年代までに大幅に数を減らしました。岐阜や福岡等が良い例ですね。

一方路面電車の廃止ラッシュから40年程経った今日では、環境にやさしいという点が見直され、JR富山港線を復活して出来た富山港ライトレールを筆頭に宇都宮でもLRTの工事が進むなど路面電車時代が再来しています。

では、この路面電車にとって絶望の時代だった1970年代から、ここ最近の優遇される2000年代の間に何があったのか、それは東京に残る都電荒川線が全てを物語っていました。

この記事では、Bトレインショーティーや、鉄コレ、実車画像等々を使いながら解説していきます!

路面電車廃止の波に揉まれて

都電8000系 1956年に登場したが、都電の大廃止が近かった事に伴い、わずか16年後の1972年に形式消滅

1960年代に高度成長期に突入した日本は、自動車などの普及が急速なペースで進んでいきました。その為、道路の邪魔になってしまった各地の路面電車たちは、廃止が進んでいきました。

東京になったら尚更で、1967年から東京都は都電を次々と廃止してきました。現在の都電荒川線は、元々三ノ輪橋から赤羽を結んでいた27系統と、王子から早稲田までを結んでいた32系統から成り立っているのですが、当然この2系統も1970年と1971年にそれぞれ廃止になる予定でした。

ところで廃止になっていった都電は、決して利用者が少なかった訳では無いので、全ての系統で都営バス又は地下鉄でカバーすることになっていました。なので今の都バスの路線は、結構な数で都電と同じ経路を辿っています。

27系統の王子~赤羽間は、現在でもほぼ同じルートで都営バス王57系統が設定され、東京メトロ南北線も王子から、当時の赤羽電停があった赤羽岩淵まで通っています。この区間では、他の都電の系統と同様代替手段が整備できたことになります。

では27系統の三ノ輪橋~王子と32系統の王子~早稲田の代替手段は何かというと存在しません。

なぜなら、この区間の9割が専用軌道なので線路沿いに大きな道路が無い、また同じ経路を辿れなくもない明治通りは、当時から渋滞の名所で定時制の欠片も無いことが見込まれたからです。

当然代替手段も無く廃止されたら沿線民はたまったものじゃありません。とりあえず廃止計画は延期になりました。

1967年から始まった都電の大廃止計画は1972年にほぼ終了しましたが、27系統の三ノ輪橋~王子と32系統は未だ運行を続けていました。

やがて1974年に廃止計画が撤廃され、これを機に27系統と32系統は統合され改称。「荒川線」として、とりあえず存続が決定したのです。

減り続ける乗客

この頃の主力だった6000系 今も1両が荒川車庫で動態保存され、飛鳥山など各地に静態保存車がいる

こうして存続が決定した荒川線ですが、決して平たんな道のりではありませんでした。そう第二の敵「地下鉄」が勢力を拡大しつつありました。1974年時点では1日93000人以上の乗客を運んでいましたが、町屋駅前で交差する千代田線が1978年に全線開業し、その他日比谷線や東西線も直通運転が強化されていく中、都電は乗降客数が減少。

それでも時代に抗おうとし続けた都電でしたが、有楽町線が都電も通る東池袋に路線を伸ばし、南北線も王子駅まで到達すると、いよいよお先真っ暗な状況になっていったのでした…。

お財布にもお客さんにも優しい路面電車へ

画像の2両の都電を見てください。赤色の7000系に比べて、青色の7500系はドアが高くなっています。当時の都電というのは電停が道路にあったので、荒川線に受け継がれた車両も乗降扉がかなり下部にあります。しかしドアの高さに床を敷き詰めると、床下機器を置く場所が無いので、乗降口は階段式になっていました。

意外とこういう車両は、当時珍しくなくて、寝台列車やロマンスカー等の特急車には結構多く採用されていました。折戸というのも原因の1つでした。今でもゆふいんの森等に残っていますね。

一方青色の7500系だと、乗降口に段差が無いので乗車時高齢の方でも楽に乗降することが出来ます。

また、1974年に荒川線として独立した後は合理化の一環でワンマン化が進められました。ワンマン化すると1列車あたりの人件費が半減しますからね。

ワンマン化に伴い車両の外観も大きくチェンジ!

7000系は

この車体から

左の4つ目の顔した車体に載せ替えられました。何だか東武の匂いがしますね()

このデザインは、当時としては画期的で、他社の路面電車は大いに影響を受けています。

一方7500系も当然改造の対象になり、車体外観はそこまで変わりませんでしたが、ワンマン対応になりました。

この頃電停もかさ上げが行われ、全電停にスロープが設置された為、階段を通らずに乗降が出来るようになったので、都電は全国に先駆けてバリアフリー100%を達成しました!(階段自体は荒川七丁目等にありますが、あくまで道路まで階段無しで行けるという意味です。)

これは高く評価され、特に7000系車体更新車はローレル賞を1978年に受賞し、都電の新時代が幕を開けたのです。

しかしこのワンマン対応は、既におじいちゃんになっていた6000系には施工されず、引退して行きました。

1984年には、7500系にも車体更新が行われこのような外観に。

今度はクーラーも搭載!近代化が恐ろしい勢いで進んでいきました。なお、7000系にもこの頃冷房化改造されました。

しかし、車体更新はあくまでだましだまし使っているだけなので、そろそろ新生車が欲しかったのですが…。

一掃できない旧型車両

1990年。都電の旧型車両を一掃すべく、8500系が登場しました

大江戸線にお金を使いすぎている最中だった東京都の財政事情が滅茶苦茶だったので、増備は5両で打ち止め。ここにきてまたもや地下鉄に妨害される形となった都電は、1954年製の7000系おじいちゃんを筆頭に古い車両をまだまだ使わないといけなくなってしまいました。減り続ける都電の利用者にそこまでお金をかけている場合では無かったのでしょう…。

ちなみに8500系によって置き換えられた7000系の一部は、その後豊橋に旅立って現在も活躍しています。

フットワークの軽さを活かして

1990年以降、利用者の低迷に対して何の対策も出来なかった都電

大江戸線にお金をかけすぎて、借金ってレベルじゃないくらいに借金がある都には、到底旧型車全部置き換えたいからお金を呉と言えるわけもなく、ただ古い電車がのんびり走っているだけでした。

そんな中21世紀に突入し、富山ライトレールなど路面電車の時代が再来し始めた頃、都電もその波にのって新型車両を導入を画策し、相変わらず新宿線の新車投入に勤しむ都では無く、宝くじによる社会貢献費を活かし、何とか2両新型車両を製造できました!

そう。車内にカラオケも積んであるイベントや貸し切り向けの9000系です!

また、この車両が投入されたことで車両の貸し切り事業が活発化し、利用者の減少に対して収支が改善されてきたこともあり、遂に旧型車置き換え目的で

2009年には、4色でカラフルな8500系を製造!観光目的の人も集まる、イメージダウンになっていた旧型車も置き換えられるという一石二鳥な好循環に持ち込むことが出来ました!

時系列が前後しますが、2008年には大阪の阪堺電車とコラボ!

7500系1両が阪堺電車の色になりました。 これ可愛いですよね!

コラボは3年間行われ、十分なPR活動になりました。

その中でも旧型車の置き換えはちゃんと進み、2011年には7500系の置き換えが出来ました。

しかし、2011年に発生した東日本大震災の影響で、他の鉄道では類を見ないほど速いペースで復旧し、その日の18時には運転再開していた都電は帰宅困難者が殺到し、3月の営業最終日にさよなら運転を行うはずだった7500系は、さよなら運転を中止して、最後の日まで1日フル稼働することになりました。

復活!花電車!

色々な事があった2011年でしたが、都営交通にとって2011年は「事業開始100周年」という節目の年。引退した7500系を事業用車花100系に改造し、走行。夜間にはライトアップも行われ、6日間沿線を賑わせた。

この車両は運行終了後ケーキは取り外され、夜間に工事する人を乗せ数回走行したが、2018年に解体された。

東京さくらトラムと資金不足

2017年に都電荒川線の更なるPR、観光地化を目指し「東京さくらトラム」という愛称がつけられた。また名前だけでなく、もはや動く遺跡と化していた7000系16両を置き換える為

他にもオレンジやピンク、黄色の車両がある。

8800系のマイナーチェンジ車である8900系を16両投入し置き換えるはずだった

結果論から言うと、この車両は予定の半数 8両しか製造されていない。

どうしてかと言うと、町屋駅で交差する京成線とその直通先の都営地下鉄浅草線にある。

2010年に京成成田スカイアクセス線が開業。120km/h対応の車両が必要になったのだが、浅草線には1編成しか対応編成が居ない。

今は何とかなっているが、後々運用の制約が大きくなってくることが予想されたため、2016年に浅草線5500形の導入が決定した。

都営交通の稼ぎ頭である浅草線と、よく分かんない都電に同時に新車が欲しいと言われたら、都からすれば浅草線に優先的に投資するのは当然で、都電には要望の半分しかお金をくれなかったのである。

死にそうな7000系

しかし、7000系達がいつ天国に逝くかもわからない状況なのは変わりない。

ところで7000系たちは、床下機器は1954年製のやべぇ奴らなのだが、車体はどうだろうか。

ちゃんと読んでくれた方はお分かりかもしれないが、車体だけは1978年に新しく作られたので

まだ

40年しか経っていなかった。(パワーワード) なので床下機器だけを新造し、8900系に置き換えられた車両から順次車体もリホームして

7700系を8両新造(建前)して、無事に7000系を置き換え(更新?)することが出来ました。この導入によって都電荒川線は、書類上では荒川線に統一された後の車両のみで構成され、東京さくらトラムという何とも言えないニックネームを引き下げ、今日も下町をゴトゴト走っているのです。

これからの都電

平成の時代は長らく利用者減少に悩まされてきた都電ですが、イメージアップやPRを積み重ねてきた結果、令和の時代に入った令和元年度 遂に利用者が平成27年と比べ、増加傾向に転じました!

車両の面では、7700系は元を辿れば40年ものですし、8500系もデビューから30年が経過しています。

ですが、コロナ渦を乗り越えた先に希望を見出し始めることが出来てるのも確かです。

収まったら是非乗りに来てくださいネ!